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情報自由論第13回
不安のインフレスパイラル(前編)
著者:東浩紀
初出:『中央公論』2003年9月号、中央公論新社
筆者がこの連載を始めたのは二〇〇二年の七月号である。その後わずか一年強しか経過していないが、それでも、振り返ると状況の変化の早さに驚かざるをえない。このあいだには、住基ネットの稼働に始まり、個人情報保護法と出会い系サイト規制法の成立や2ちゃんねるの方針転換、アメリカでは、国防総省の『一九八四年』を想起させる国民データベース計画やP2Pネットワークの規制強化など、情報技術の自由を警戒する動きが国内外でつぎつぎと報じられた。ここ数ヵ月だけ見ても、運転免許証のICカード化、パスポートへのバイオメトリクスの導入、ICタグ(ユビキタスID)とインターネットの接続技術の標準化など、ヒトとモノの動きを隈なく把握し、効率のよい秩序維持を図ろうとする構想が相次いで発表されている。いまや、仮想空間の管理は、現実空間の管理とシームレスに結びついて、社会のインフラに深く食いこみつつある。ハッキングの時代は終わり、マーケティングとセキュリティの時代が始まったわけだ。
筆者は前回まで、その新たな時代の論理を、「環境管理」と「匿名性」という二つのキーワードを軸に描き出そうと試みてきた。もともと本論は「情報」と「自由」の関係を主題としていたのだが、それに絡めて要約すれば、情報技術はいまや「環境管理型権力」のインフラそのものと化しており、今後の自由はその管理から離脱する「匿名性の自由」としてこそ構想されねばならない、というのがそこでの結論である。この主張がどれほど読者の共感を得るものかは分からないが、連載のあいだに起きた上記のような出来事も、筆者には、匿名性の価値の再考を促すものばかりであるように思えてならない。
この連載もあと二回で終了である。今回と次回では、第一回で取り上げながら、その後あまり触れられなかった「セキュリティ」あるいは「不安」の問題にふたたび焦点をあててみたい。それは、表面的には情報技術と無関係な話題だが、しかし、本論が注目してきたような大きな社会変化を奥底で規定する重要な要素である。
長崎事件から見えた二つの世論
このところ抽象的な議論が続いてきたので、今回は、この七月に世間を賑わせた長崎市の幼児誘拐殺人事件から話を始めてみよう。読者のみなさんもご存じのように、この事件では、犯人特定の決め手として、犯人と被害者が連れだって歩いていた商店街の監視カメラの映像が利用された。逆に、初動捜査が難航した原因として、犯罪現場が監視カメラの死角になっていたことも報じられた。そして、逮捕ののちには、犯人の少年には幼児猥褻事件の余罪があり、自宅近くのマンションでは監視カメラに向かって毒づいていた、などという報道も現れた。
このように今回の事件をめぐる報道では監視カメラの存在が繰り返し注目を浴びていたのだが、そこでのメディアの論調は、少数の例外を除き、おおむねその役割に好意的だったと言える。警視庁が新宿・歌舞伎町に監視カメラを設置したおりには厳しい論調だった各紙誌も、今回は、「犯罪許さぬハイテクの目」といった見出しで読者の防犯意識を高めるのに余念がない。長崎県警も、早速、県内の大型電気店に録画機能付き監視カメラの設置を要請している。
筆者がここで思い出したのは、一九九三年にイギリスのリバプール郊外で起きた十歳の少年二人による幼児誘拐殺人事件である。この事件においても監視カメラの映像が犯罪解決の決め手となった。そして、それをきっかけとして、カメラ設置への同国の世論は大きく軟化したと言われている。現在のイギリスは、一〇〇万台とも推定される膨大な数の監視カメラがひしめく世界最先端の監視社会を実現しているが、近い将来、日本が同じ道を歩んだとき、今回の長崎事件はその節目となった象徴的な事件として思い起こされることになるかもしれない。
そして、もうひとつ、今回の騒ぎで特徴的だったのは、加害者の個人情報がネットに流出することに対してきわめて敏感な反応が現れたことである。あらためて説明するまでもないが、今回の事件は、犯人が十二歳の中学生であるため身元が公開されず、さらに、犠牲となった男児に猟奇的な暴行の跡があるという噂が流れるなど、大衆的な関心を集めやすい性質のものだった。このような事件が発生すると、ただちに匿名掲示板に人々が集まり始め、憶測や誹謗中傷を含め、虚実入り乱れた膨大な量の情報が交換される、というのがここ数年のこの国での「ニュース消費」のありかただ。したがって、七月九日に少年が補導されると、2ちゃんねるではただちにスレッドが立てられ、活発な犯人探しが始まった。
ただし、今回は、そのような「裏情報」に対して行政が迅速かつ厳格に対応し、またそのことが繰り返しメディアで報じられたという点で、先行する事例と異なっていた。法務省人権擁護局と長崎市教育委員会生涯学習部は、同日夜には早くも2ちゃんねるの管理人に対して、加害者についての個人情報の削除依頼を提出しており、その動きは翌日には全国紙やテレビで大きく報道された。数日後には、今度は、同人の顔写真がサーバー上にアップロードされるのではなく個人間の携帯メールでつぎつぎと転送されていることが問題になり、法務省がメール規制の検討を始めた、という報道も現れている。十七日には、総務省総合通信基盤局から関係各省庁に対して、ネット上のプライバシー侵害に対して積極的な対応を取るように通知が出された。少年補導後の一週間で、法務省が行った個人情報の削除依頼は一〇〇〇件以上にも上るという。
このような動きは、長いあいだ放置されてきたネットの情報交換が、いまやネット外と同じ法的監視のもとに置かれるようになったこと、少なくとも、そのような規制が社会的なコンセンサスを得つつあることを示している。その雰囲気の変化は、個人情報保護法の成立や民事訴訟での2ちゃんねるの相次ぐ敗訴などにも現れているが、多くのライトユーザーにとっては今回の騒ぎが初めての経験になったことだろう。
実際、長崎事件の犯人の個人情報は、関心の高さのわりに意外と入手しにくい。ひとりのユーザーとしての感想でしかないが、行政とメディアの態度は、今回に限ってはそれなりに大きな萎縮効果をもっていたように思われる。「酒鬼薔薇聖斗」や「佐賀県佐賀市十七歳」の顔写真や個人情報はいまでも驚くほど簡単に手に入るが、長崎事件の犯人については、今後、正確な情報が広く公開されることはないだろう(ただし、P2Pネットワークを用いたファイル交換はまだ規制が緩い)。今回の事件はその意味でも節目となるものだった。
監視とプライバシー
長崎の幼児誘拐殺人事件とその後の騒動は、このように、監視カメラに好意的で、同時にプライバシーの侵害に敏感ないまの世論を鋭く照らし出している。では、その二つの特徴はどのような関係にあるのだろうか。
あらためて考えてみよう。世論は、いま、明らかに監視カメラの設置に積極的になりつつある。確かに防犯効果はあるだろう。しかしプライバシー侵害のリスクも高い。そもそも、監視カメラの設置場所や記録映像の管理方法については、いまだ法的な規制が存在しない(注1)。警察や自治体、企業、商店街、個人などさまざまな運営母体が、それぞれ勝手にカメラを設置し、道行く人々の映像を撮り溜めているのが現状である。その状態があまり問題とされないのは、いまのところ、多くの監視カメラが映像をビデオテープという物理的にかさばる媒体に記録しており、容量にも限界があるため、流出や悪用が困難だからにすぎない。
しかし、その困難は技術的には乗り越えられつつある。監視映像のデジタル保存が一般化し、記録媒体が大容量となり、安価で高性能な顔認証ソフトウェアが普及すれば、何百時間という映像をとりあえず保存し、あとで特定の人物が映っている場面を抽出することは簡単にできるようになる。そして、ブロードバンド化の進展は、そのようなデータの共有や交換をきわめて容易にする。したがって、いずれ監視映像の流出や悪用が社会問題化するのは避けられない。たとえば、芸能人が住むマンションの随所に仕掛けられたカメラの映像が何者かによって持ち出され、P2Pネットワークで公開され、顔認証ソフトウェアを通して日常生活が丸裸にされる、といった例はすぐ思いつく。
このような状況を考えてみると、今回の事件が照らし出したもうひとつの世論が、まさにその変化を予感して現れたものであることに気がつく。ネットへの個人情報の流出については、いままで氏名や住所といった文字情報が話題になることが多かった。匿名掲示板ばかりが槍玉に挙げられてきたのはそのせいだが、今後は、音声や静止画や動画など、さまざまなデータがプライバシー侵害の原因となり、その流通の舞台もP2Pネットワークへ移っていくことだろう。そこで交換されるのは、何も上述のような監視カメラの映像に限らない。ICレコーダやカメラ付き携帯電話など、私たちの身のまわりには、盗聴や盗撮に転用できる電子機器が無数に存在している。
今回の騒ぎでは、まさに、そのような新しい情報流出の存在が浮かび上がってきた。たとえば、2ちゃんねるでは、少年の補導直後に、その瞬間を同級生が携帯で撮影した画像が存在するという噂が流れている。筆者は現物を確認したわけではないが、いまのカメラ付き携帯電話の普及率を考えれば、そのような画像が存在してもおかしくはない。実際、数日後には事件と無関係な中学生の顔写真が携帯メールで流通していることが社会問題化したが、これなどは、流通方法から見ても内容から見ても、新しいタイプのプライバシー侵害の先駆的な事例だと言える(メールも一種のP2Pネットワークである)。これは不謹慎な想像かもしれないが、もし、この事件が監視カメラのデジタル化が進んだ数年後に起きていたとしたら、まず間違いなく、犯人特定のきっかけとなった監視映像と称する映像(それが本物であれ偽物であれ)が出回っていたことだろう。今回、世論を動かしたのは、そのような情報流通に対する不安感である。
監視カメラ導入への積極的な態度とプライバシー侵害への強い警戒感は、表面的には矛盾するように見えるが、実はこのように深く繋がっている。そして、その双方を結びつけているのが、社会全体を満たす強い不安、すなわち、連載当初からたびたび問題としているセキュリティ化の傾向なのだ。長崎事件とその後の騒動は、そのような感情の連鎖をきれいに照らし出している。
相互不信のインフレーション
現代の日本社会は、アメリカやヨーロッパと同じく「ポストモダン化」し、不透明で複雑な社会へと変貌を遂げている。社会全体を纏め上げる中心的な規範(大きな物語)は有効に機能せず、家族や隣人ですら何を考えているのかよく分からない。そのような変化のなか、動物的な不安に駆られた人々は、情報技術を利用し、監視を強化することで不安を追い払おうとやっきになっている。具体的には、身分証明書をICカード化し、監視カメラを無数に設置し、インターネットから匿名性を放逐し、バイオメトリクスとユビキタスによりヒトとモノの動きを克明に把握する方向に社会全体が動き始めている(環境管理型社会の構築)。ざっくばらんに要約すれば、これが、筆者が前回までの連載で述べてきたことである。
しかし、以上のような感情の連鎖の存在は、その方向が大きな弱点を抱えていることを示している。不安から逃れるために情報技術で武装する。それは確かに効果がある。しかし、電子的監視の整備は、結果として、人々がばらまく断片的な個人情報(データ・シャドウ)の量を飛躍的に増加させてしまう。現代社会では、住基ネットを流れる氏名や生年月日、自宅入口の監視カメラが捉えた映像、Suicaに残った乗車履歴、レンタルビデオの利用履歴、Nシステムが記録したドライブの行程、携帯電話で撮影された(かもしれない)下着姿といった無数の情報が、断片化し、増殖して、物理的な身体を離れてネットワークのなかに拡がっている。現実にはそのようなことは起きていなくても、多くの人々はそう感じている。そして、この新たな感覚は、それらデータ・シャドウの行方をめぐる新たな不安を生み出してしまう。現実世界のセキュリティを確保し、不安を取り除くために導入された技術は、浸透すればするほど、仮想世界に向けられた別の不安を増殖させてしまうのだ。
これは根本的な問題である。情報技術革命とは、そもそも計算力の大衆化を意味している。かつて、コンピュータの管理者とはメインフレームの前に張り付く白衣の科学者を意味していたが、一九七〇年代以降、それはTシャツを身につけたSF好きの青年に取って替わられた。一九九〇年代以降は、もはやそのような特定のイメージが意味をもたないほど、インターネットとコンピュータは一般化した。多くの人々は、それをすばらしいことだと考えている。筆者も当然そう思う。
しかし、それは同時に、かつて国家権力や巨大企業だけがもっていた強力な情報収集能力と分析能力、それに広報能力が、いまやだれの手にも入るようになったことを意味している。『一九八四年』の世界では権力者の技術は圧倒的で、「自分がいつ監視されているのか、それを察知する方便すらなかった」が、いまでは住基ネットも警察のメール傍受装置もストーカーのスパイウェアもみな同じOSで動いている。同じく『一九八四年』では出版物はすべて「真理省」に管理され、「何回かにわたって回収され、書き直されて訂正が行われたという断り書きもなしに再発行され」ていたが、いまではだれでもネットで世界中に情報を発信することができる(注2)。多くの市民が不安を感じているのは、まさにこの情報技術の遍在化に対してである。現在ではあらゆる市民がビッグ・ブラザーの技術に抵抗することができるが、逆に「リトル・ブラザー」にもなりうる。それに対抗するためにこそ、ネットワークの監視強化が求められている。個人情報保護法の成立、2ちゃんねるの方針転換、長崎事件で垣間見えた強硬な世論という一連の流れは、このような文脈のなかで理解されねばならない。
だからこそ、この連載で何度も繰り返してきたように、現在の監視社会化の流れは、ビッグ・ブラザーの肥大化といった硬直した図式では捉えられないのだ。それを駆動しているのは、実際には、リトル・ブラザーの遍在化に対する恐怖が引き起こした、市民間の相互不信のインフレーションなのである。いまや人々は警察より隣人を恐れている。そこでは監視とプライバシーはまったく矛盾しない。現在の世論が、一方で警察国家化の兆しを抵抗なく容認しながら(監視カメラやバイオメトリクス)、他方で個人情報流出の可能性に対して強い反発を見せるのは(住基ネット)、その両面を同じ不安が結びつけているからにほかならない。そして、その不安は、電子的監視の充実によっては決して拭い去ることができない。
近代の規律訓練型社会がイデオロギーによって社会秩序を維持したのに対し、ポストモダンの環境管理型社会は情報技術によって社会秩序を維持する。それが筆者の基本的な考えだが、しかし、情報技術への依存が人々の相互不信をますます高め、さらなるセキュリティ化へと駆りたてるばかりなのだとすれば、はたしてそのような社会は持続可能なものなのだろうか。おそらくはここに環境管理型社会の最大の弱点がある。
『ボウリング・フォー・コロンバイン』
不安が監視を呼び、監視がまた不安を呼ぶという「不安のインフレスパイラル」は、いまや、個別情報技術だけではなく、私たちの社会全体を覆い始めている。
筆者がそのことをあらためて実感したのは、この春に日本でも公開され、大きな話題になったマイケル・ムーア監督の映像作品『ボウリング・フォー・コロンバイン』を観たときのことである。ご存じの読者も多いと思うが、この作品は銃規制を主題としたドキュメンタリーである。一九九九年四月二十日、アメリカ・コロラド州のコロンバイン高校で、二人の平凡な高校生が同級生や教師に銃を向け、一三人を殺害して自殺するという凄惨な無差別銃撃事件が生じた。ムーアは、この事件が起きた背景に何があったのか、そしてさらに広く、アメリカで深刻な銃犯罪が多発するのはなぜなのか、さまざまな人々への突撃取材やニュース映像からのサンプリングを組み合わせて描き出していく。分かりやすい結論はない。しかし、二時間の映像を見続けていると、徐々に衝撃的な事実が浮かびあがってくる。
それは、アメリカにおいて銃犯罪が多発するのは、人種的多様性のせいでも、メディアのせいでも、貧困のせいでも、銃所持が自由化されているせいでもなく、むしろ、アメリカの市民が世界でもっとも犯罪を恐れているからだ、という逆説的な事実である。ムーアは、この逆説を隣国のカナダと比較することで明らかにする。カナダでも銃は普及している。人種は多様だし、メディアの影響も強いし、貧困も深刻である。しかし銃犯罪は驚くほど少ない。『ボウリング・フォー・コロンバイン』でもっとも印象的な場面は、おそらく、デトロイトの対岸にあるカナダの町、オンタリオ州ウィンザーに行って、ムーアが個人宅のドアを承諾なしに開けてみるところだろう。カナダ人は家に鍵をかけない。ドアが開けられても平然としている(少なくともこの作品を見るかぎりでは)。川ひとつ隔てたデトロイトであれば、不法侵入で射殺されても文句は言えない。そして、その差異は、心理的な要因だけから生じている。
このムーアの主張が、犯罪学や統計学の専門家にどのように映るのか、筆者には分からない。しかし、映像作家としての彼の感覚は、世界でもっとも多様であり、「ポストモダン化」され、環境管理型権力が行き届いたアメリカという国家を支える感情の力学を、きわめて簡潔に描き出しているように思われる。犯罪者からテロリストまで、アメリカ人はつねに敵の影に怯えている。しかし、そのような不断の緊張状態は、かえって突発的な犯罪を生み出してしまう。だからこそ、それを根絶するために、国民全員のプロファイリング・データベースのような極端な構想が繰り返し登場する。ここには、ひとりひとりが安全を求めることが、全体としてむしろ危険な社会を生み出してしまう、という逆説が働いている。それは、いわば、セキュリティ版の「コモンズの悲劇」とでも呼ぶべき深刻な事態だ。
地下鉄サリン事件と白装束騒動
そして、「帝国」となったアメリカは、その逆説を、いま日本を含め世界中に輸出し始めている。確かに日本では、銃犯罪も深刻ではないし、テロリズムの恐怖もそれほど真剣に受け取られていない。しかし、日々の新聞報道からも明らかなように、セキュリティへの関心はここ数年のあいだで急速に高まっている。そして、それと並行して、私たちは不気味なものに対する寛容さを急速に失いつつある。
もうひとつ、最近の事件から象徴的な例を挙げておこう。この五月にマスコミを賑わせた事件として、「パナウェーブ研究所」、通称「白装束の集団」と呼ばれた団体をめぐる騒動があった。パナウェーブ研究所は、「スカラー電磁波」という架空の存在の影響を調べるという信念のもと、白衣に身をつつみ各県をワゴン車で流浪する奇矯な人々の集まりである。千乃正法と呼ばれるカルト集団の一派であり、終末思想を信奉しているらしいが、これまではとくに反社会性が目立っていたわけではなく、大きな関心を集めたこともなかった。
それが、この五月には、ある週刊誌の報道をきっかけに突然のようにマスコミの注目を浴び、一ヵ月のあいだ過熱した報道合戦に巻き込まれることになった。そして、そこで特徴的だったのが、マスコミがごく初期からこの集団とオウム真理教を重ね合わせ、行政と世論もそれに引きずられて急速に過激化していったことだ。報道合戦が始まったのはゴールデンウィークの始まりとほぼ同時だったが、わずか数日後の五月一日には警察庁が見解を発表し、五月七日には衆院法務委員会で取り上げられている。それと軌を一にして、団体が滞在する自治体は退去を勧告し、移動先と目される自治体では相次いで過激な反対運動が展開された。五月十四日には、車両の虚偽登録を口実に五都県の関係施設一二ヵ所と車両一七台が一斉に家宅捜索されたが、この明らかな別件捜査に抗議する声はほとんど聞こえなかった。地下鉄サリン事件の悲惨な現実の直後でさえ、オウム真理教徒の別件捜査には強い反発があったにもかかわらず、である。それは、あたかも、日本社会全体が激しいアレルギー反応に襲われたかのようだった。
筆者がこの騒ぎを見て思い起こしたのは、まさに、その地下鉄サリン事件の被害者にインタビューを重ねて記されたノンフィクション、村上春樹の一九九七年の『アンダーグラウンド』である(注3)。読まれた方も多いと思うが、この書物には、テロ発生のその瞬間に被害者が何を感じ、どのように行動したかが克明に記録されている。
被害者の方々の受けた傷は想像にあまりあるし、とくに後遺症に苦しむ方々の記述は読んでいて心が痛む。しかし、同時にこの本で印象に残るのは、不謹慎な表現になってしまうが、その場に居合わせた人々のあまりに楽観的な状況認識であり、意外な対処行動である。『アンダーグラウンド』には六二人のインタビューが収録されているが、異常の発生をテロと結びつけて考えた人は数人しかいない。大半の人は、目の前にサリンで濡れた床面が拡がり、呼吸困難に陥った乗客が隣に倒れ、自分自身の視界が暗くなっても、事態の深刻さに気がつかず、通常どおりに出社しようと努力を続けていたと証言する。その証言は、いま読みなおすと、信じがたく緊張感に欠けるように感じられる。
しかし、それは、決して、被害者が特別に危機意識を欠いた人々だったことを意味するのではない。そうではなく、一九九五年の時点では、日本人の多くがそのような日常のなかに生きていたのだ。当時の私たちは、酒鬼薔薇も9・11も知らなかった。オウム真理教の不気味な行動が報じられても、無差別テロが都内で白昼に起こるとはだれも予想していなかった。現在では状況はまったく変わっている。もし、いま、地下鉄構内に正体不明の液体が入ったビニール袋が放置され、周囲の人々が体調不良を訴え始めたら、ただちにパニックが起こり警察が駆けつけることだろう。五月の騒動で顕在化したヒステリックな恐怖心を、『アンダーグラウンド』の証言と比較するとき、このわずか八年の日本社会の変化には瞠目せざるをえない。
危機意識が高まるのは悪いことではない。しかし、私たちの日常生活を覆っている「安全」「安心」への渇望が、あまりにも激しく、あまりにも性急すぎるのではないかと、少し冷静に振り返ってみるのも必要なことだろう。ストーカー、ハッカー、少年犯罪者、外国人窃盗団、テロリスト、カルトといった新たな「敵」のイメージが次々と現れるなか、私たちもまた、アメリカ市民と同じように、いつのまにか不安のインフレスパイラルに陥り始めているのかもしれない。少なくとも、わずか二ヵ月前のあの騒動が、合理的な判断というより、恐怖心の幼稚な発露に基づいていたことは確かである。いまや、白装束の団体のことなど、多くの人々は忘れてしまっているのだから。
注
(現在準備中)