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情報自由論

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情報自由論ってなに?

「情報自由論 データの権力、暗号の倫理」(以下「情報自由論」)は、批評家・哲学者の東浩紀(僕)が、情報社会と自由の関係を主題として書き記し、『中央公論』2002年7月号から2003年10月号にかけて、14回にわけて発表した論考です。このサイトでは、そのすべての原稿が公開されています。

「情報自由論」の構想は、遠く、1990年代後半に『InterCommunication』で連載されていた論考、「サイバースペースは何故そう呼ばれるか」(未刊)に遡ります。2000年代はじめの僕は、第1章でポストモダンの理論的な問題を扱い、第2章でその情報社会における展開を扱い、第3章でそのサブカルチャーにおける展開を扱う大部の著作を夢見ていたことがありました。『動物化するポストモダン』はその第3章が、「情報自由論」は第2章が変形したものです。したがって、この論考は、『動物化するポストモダン』と双子の関係にあると言えます。

2005年現在、僕自身の考えは、この「情報自由論」のときとはいくつかの点で大幅に変わっています。この論考が、単行本化されず、ウェブで公開されるのは、そのような思想の変化があったからです。引用・参照の際には、その点に留意していただけると、ありがたいと思います。

この連載は、『中央公論』の目次のなかでは異色のものでした。2002年の段階では、まだセキュリティや個人情報といった言葉はあまり流通しておらず、ブログはまったく知られていませんでした。そのなかで「情報自由論」の目論見を論壇誌の世界のなかに収めるためには、いろいろな工夫が必要でした。連載を最後まで続けることができたのは、当時『中央公論』編集部に在籍していた松本吉広氏の努力と熱意のおかげです。ここに記して感謝します。

なぜ公開されているの?

「情報自由論」は連載時より好評で迎えられ、各紙誌での反響も大きく、連載終了後には中央公論新社より単行本としての出版が決定していました。しかし、その後、「情報自由論」を取り巻く社会環境や僕自身の立場が大きく変わりました。たとえば、僕はこの仕事がきっかけとなって、2003年より国際大学グローバル・コミュニケーション・センターに研究員として迎えられることになりました。

いまの僕は、2002年のころと較べ、情報社会のさまざまな問題の専門家とはるかに密度の濃いコミュニケーションを取っています。そのなかで、僕自身、自分の考えにさまざまな修正を加えることになり、そのたびに改稿作業は躓くことになりました。そこで、熟慮の結果、2005年8月に、単行本化作業を中止することにしました。

しかし、この論考については、僕の著作物のなかでもとりわけ単行本化を希望する声が大きく、また連載原稿の引用を見る機会も少なくありませんでした。したがって、読者の利便性を図るため、中央公論新社の同意を得て、ここにすべてのテクストを公開することにしました。この決断を快く支持してくれた中央公論新社に、感謝したいと思います。

公開の方針は?

僕は今回の公開にあたり、修正を一切いれませんでした。

ここに掲載されたテクストは、本文については、傍点や特殊文字などを除き、雑誌掲載時のデータそのままです。注については、雑誌掲載時のデータが入手できなかったため、入稿時のデータ(校正前のもの)をもとに再構成しています。したがって、雑誌掲載のものと多少の異同がある可能性があります。また、論壇誌での連載ということで加えられた、専門用語の解説のための注は削除しました。

各回のテクストへはこのページ上部のリンクから飛ぶことができます。

今後の展開は?

このサイトは2005年10月19日に公開が始まりました。上記の理由から、注の文章の再構成に時間がかかるため、暫定的にversion0.9の状態で公開することにしました。ver1.0(注付きのテクスト)へのアップデートは近日中を予定しています。

このサイトで公開されているのは、html版です。ほか、読者がコメントを寄せることができるWiki版や、pdf版の制作なども構想中です。Wiki版においては、2005年の僕が、2002年の自分自身の原稿へコメントをつけていくことになるかもしれません。詳細は追ってアナウンスします。


関連サイト

渦状言論
波状言論
GLOCOM 東浩紀研究室
ised@glocom 情報社会の倫理と設計