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情報自由論第5回

サイバーリバタリアニズムの限界

著者:東浩紀
初出:『中央公論』2002年11月号、中央公論新社


9・11以降、共産主義ならぬテロリズムの亡霊が徘徊している。そしてその亡霊に怯えるあまり、人々はセキュリティの強化へと殺到している。だからこそ、私たちは、イデオロギーなきセキュリティの暴走、価値観なき秩序維持、理念なき情報技術の暴走を警戒しなければならない。これが筆者の考えだが、他方、そのような暴走がなぜ生じてしまうのか、そのメカニズムも知っておく必要がある。前回までの議論で登場した「セキュリティ化」「環境管理型権力」「多様性の層と情報管理の層の乖離」といった概念は、その見通しを良くするためのツールだと理解されたい。

このように、私たちのテーマは理念なき情報技術の暴走である。しかし実は、情報技術の歩みそのものは、決して「理念なく」辿られてきたものではない。連載冒頭で述べたように、一九九〇年代半ばまで、情報技術の進歩は政治的にも経済的にもより大きな自由をもたらすものだと信じられていた。それが逆に、この数年で、インターネットや携帯電話のような情報技術は、むしろ人々の自由を奪うインフラとして立ち現れつつある。来るべき「自由」を構想するうえで、この反転の意味について考えることは避けられないだろう。そこで今回は、情報技術と自由の理念がいかに結びつき、どこに限界があったのか、簡単に整理しておきたい。

ハッカー文化の二面性

二十世紀末の情報技術革命は、その起源を世紀半ばの米国まで遡る。当時のコンピュータは、大学や研究施設内に設置され、専門教育を受けたエリートにしか扱えない重厚な機械だった。その機械が、現在のように大衆化され、日常生活のなかに入り込んできた背景には、コンピュータがもたらす社会変革の可能性を信じ、啓蒙や改良に身を捧げてきたエンジニアやプログラマ、いわゆる「ハッカー」たちがもつ独特の倫理や世界観が存在している。コンピュータは、ただ単に小型化し高性能化したために普及したのではない。ハッカーたちの夢がなければ、アイコンやクリックを使ったインターフェイスも、ネットスケープのようなWWWブラウザも、LinuxのようなOSも発明されなかっただろう。もし彼らがいなかったら、二十一世紀を迎えた私たちは、かつてのSFが予見したように、政府がただひとつの「マザー・コンピュータ」を占有するいびつな情報化社会に生活していたかもしれないのだ。

ではその「独特の倫理や世界観」とはどのようなものなのか。それを知るためには、ハッカーの歴史を簡単に辿る必要がある。

ハッカーは五〇年代末のMIT(マサチューセッツ工科大学)で生まれた。六〇年代のハッカーたちは、多くが学生で、大型電算機に搭載された最先端のシステムを「ハック」(日本語に訳すのは難しい)し、改良し、新たな利用法を発見し、その価値を理解できる仲間と共同体を作り上げた。

七〇年代には、ハッカーたちの共同体はさらに大きな変貌を遂げた。安価なマイクロプロセッサの登場によって、コンピュータの製作やプログラミングといったハッカー的活動の裾野が大きく広がった。その主な担い手はカリフォルニアの若者たちであり、ここで、ヒッピーやカウンターカルチャーの流れを継いだ反体制的な空気がハッカー的伝統と結びついた。同時にその環境からは、ビル・ゲイツやスティーヴン・ウォズニアックといった若手起業家が現れ、安価なコンピュータの普及が、一部の好事家を超えて、多くの若者たちの心を捕まえていった。ゲイツやウォズニアックは、二〇代のうちに大富豪になる。ジャーナリストのスティーヴン・レヴィは、これらの歴史を、八四年に出版された『ハッカーズ』で簡潔にまとめている注1

このような歩みからも分かるように、ハッカー文化は独特の二面性を抱えている。ハッカーたちは、プログラミングのような専門技術の習得に大きな価値をおくが、同時にその技術は大衆と共有すべきものだと考えている。また彼らは、コンピュータの普及が従来の権力や社会体制を破壊するものだと信じながらも、同時に金銭的な成功を追求している。言うなれば彼らは、選良主義でありながら同時に大衆主義であり、しかも反体制的(あるいは理想主義的)でありながら同時に資本主義的(現実主義的)なわけである。別の側面から言えば、この曖昧な性格こそが、七〇年代から八〇年代にかけてのハッカーの拡大を可能にしたと言えるのかもしれない。ハッカーになることは、一時期の若者にとって、反体制の匂いを維持しつつ、しかもリッチになる魔法のような選択肢だったわけだ。

闘争の九〇年代

続く一〇年のあいだに、ハッカー文化はより大きな文脈と結びついていくことになる。この時期には、技術的にはコンピュータの大衆化とWWWの登場があり、文化的には「サイバーパンク」と呼ばれる潮流の出現などがあって、ハッカーの存在やネットワークを基盤とした新たな社会空間の性質が広く認知されるようになった。同時に、その存在は、古いアナログ技術を前提とした法体系と随所で衝突し始める。

そのような状況のなか、米国では、一部のハッカーが政治的な活動に身を投じ始める。その変化の契機となったのは、SF作家のブルース・スターリングが『ハッカーを追え!』で詳細にルポしている、九〇年の「ハッカー一斉取締」だと言われる注2。この事件で不当な捜査の被害にあったゲーム・クリエイターの訴えを受けて、同年、ネットワークを舞台とした言論の自由やプライバシーを守るための市民団体、EFF(電子フロンティア財団)が設立された。

そして、その後九〇年代の末まで、EFFをはじめとするハッカー主体の市民団体は、法執行のための通信援助法(CALEA、通称「デジタル・テレフォニー法」)、通信品位法(CDA)、クリッパー・チップなど、米国政府が相次いで打ち出す通信規制や暗号規制への反対運動で、大きな役割を果たすことになる。その周辺の経緯は、レヴィの近著『暗号化』に詳しい注3。日本では類似の団体がほとんど存在しないためあまり知られていないが注4、情報技術革命とニュー・エコノミーの到来に大部分の人々が浮かれるなか、新しいインフラが引き起こす法的問題をしっかりと見据え、法廷闘争や啓蒙活動を地味に推し進めていた点で、ハッカーたちの活動はきわめて重要なものだった。

サイバーリバタリアニズム

しかし、ここで見逃してはならないのは、その政治的立場にも、やはり上述のような二面性、大衆主義的でありながら選良主義的であり、反体制的でありながら資本主義的であるという厄介な性格が受け継がれていることである。

ハッカーは国家による管理に反対する。民間企業による個人情報の収集も警戒する。彼らは市民の自由やプライバシーを最大限に尊重する。その態度はときに「左翼的」に見えるし、実際にそのような立場から運動を展開しているハッカーも存在する。たとえば、PGPを開発したフィリップ・ジマーマンはその代表的人物だ。しかし、大部分のハッカーにとっては、自由やプライバシーの擁護は、基本的人権の要求というより、むしろ競争原理の徹底化と結びついている。情報技術を利用する機会はあらゆる個人に等しく与えられねばならない、と彼らは主張するが、それは、情報技術に精通したハッカーこそが新しい社会の勝利者であり、改革者なのだという自負心と表裏一体である。そして、その新しい環境が生み出す社会格差(デジタル・デバイド)や経済的不平等の問題には意外と鈍感だ。

したがって、九〇年代のハッカーたちの立場は、伝統的な左翼やリベラルというより、むしろリバタリアニズム(自由至上主義)に近いと言える。実際、その立場は、ときに「サイバーリバタリアニズム」とも呼ばれている。たとえば、インテル社を退社した物理学者で、九二年に誕生した「サイファーパンク」あるいは「暗号無政府主義者」と呼ばれるグループの中心人物であるティモシー・メイは、その代表的な論客である。彼は九五年の講演で、情報化社会を導く理念を「暗号無政府主義」だとしたうえで、その「無政府主義」にはプルードン的な(つまり社会主義的な)意味はなく、むしろ、自由市場を推進するリバタリアン的な意味だと述べている注5。未来の情報化社会では「新しい選良主義」が立ち現れ、「ここで話題になっているようなツール[暗号化のツール]を使いこなす人々は、ほかの人々が逃れられない規制や税を逃れられる」ことになるだろう、と彼は予測する。

メイが夢見るのは、暗号技術で武装した市民が、たがいに完全に自己責任で、だれの干渉も受けずモノやサービスや情報を交換しあう世界である。その結果として、犯罪者が暗躍し、情報弱者が不利益を蒙ったとしても、それは甘受すべきリスクだと彼は考える。これは、おそらく、多くのハッカーが共通して抱いている思いだろう。

サイバースペース=フロンティア

このような空気は、また、ハッカーたちが米国の建国精神に向ける独特の視線とも結びついている。ハッカーたちのリバタリアニズムは、ときに、開拓期のフロンティア精神にまで遡って根拠づけられている。メイ自身もハッカーを「サイバースペースの入植者」と表現しているが、その傾向がもっともはっきりしているのは、EFFの創設者のひとりであり、有名な作詞家でもあるジョン・ペリー・バーロウが九六年に発表した「サイバースペース独立宣言」である注6

通信品位法の成立に抗議して旅先で書かれたというこの短い文章は、タイトルからも明らかなように、一八世紀のアメリカ独立宣言を強く意識している。バーロウはそこで、自分たちの立場を、「遠く離れた無知な権力を拒否し、自由と自己決定を愛した人々」、すなわち米国独立のために闘った英雄たちに喩えている。ハッカーと言えば、主流社会の価値観から脱落したアウトローというのが常識的な見方だろうが、情報技術というフロンティアに挑戦し、個人の自由を肯定するその姿は、彼ら自身には、むしろ、建国以来の伝統に忠実な「アメリカ的」存在に映っているのだ注7。この愛国主義的な傾向も、彼らの位置を、リチャード・ローティが「文化左翼」と呼ぶような注8同時代のリベラル知識人から隔てている。

ハッカーたちの政治的な立場は、従来の区分に照らすと、右翼とも左翼とも、保守とも革新とも言いがたい。彼らは、基本的には、新たな富の源泉である情報技術=フロンティアの規制なき利用と、その前提のうえでの公正な競争のみを要求している。その要求を裏打ちしているのは、情報技術そのものは価値中立であり、その充実は私たちの「自由」(そこには大富豪になる自由も犯罪者になる自由も含まれるわけだが)を大きくこそすれ、決して脅かすものではないという強い信念である。彼らの立場は、連邦政府やマイクロソフト社の情報占有を批判するという点では大衆主義的だが、その占有から身を守るためにコンピュータについての高度な知識を要求するという点では選良主義的だと言える。ハッカー文化の二面性は、九〇年代に入り、技術至上主義のリバタリアニズム=サイバーリバタリアニズムという政治的表現に行き着いたわけだ。

カリフォルニア・イデオロギー

では、このハッカーたちの思想には、どのような限界があっただろうか。サイバーリバタリアンの活動は、前述のように、九〇年代の通信規制や暗号規制、とりわけ不完全な知識に基づいた規制強化(クリッパー・チップがその代表例である)の流れに歯止めをかけるうえで重要な役割を果たしてきた。情報技術革命とほぼ同時にそのような活動が存在したことは、私たちの社会の将来をデザインするうえで大きな財産であり、いくら評価してもしすぎることはない。

とはいえ、その両義的な立場と技術重視の傾向が、ときに、情報技術革命の正当性やハッカーの優位を主張する野合のイデオロギーのように見えたことも確かである。第一回の冒頭でも少し触れたように、英国の研究者、リチャード・バーブルックとアンディ・キャメロンは、これを「カリフォルニア・イデオロギー」と呼び批判している注9。彼らの言い方を借りれば、サイバーリバタリアニズムの正体は、「新しい情報技術の解放能力に対する深い信仰」のために生じた「ヒッピーたちの奔放な精神とヤッピーたちの企業的野心」の混合物、好況を背景とした流行思想にほかならない。

実は彼らの論文には米国主導の情報化に対する欧州ローカルな対抗意識が影を落としており、また、ミニテルのような国家主導型のネットワークに将来性を見出している点で問題もあるのだが、これは基本的には鋭いポイントを突いている。サイバーリバタリアンの主張は高度な専門知識に裏打ちされてはじめて説得力をもつのだが、それは裏を返せば、技術面の検討なしでは、彼らの主張が「技術の発展がすべてを解決する」的な楽観主義とあまり変わらなくなってしまうことを意味する。

たとえばその一例が、Linuxの開発者リナス・トーヴァルズと同じフィンランド出身であり、友人でもある二〇代の哲学者、ペッカ・ヒマネンが昨年出版した『リナックスの革命』である注10。ヒマネンはそこで、「ハッカー倫理」を、あたかも、人類社会を労働のくびきから解放する福音のように説き起こしている。パンフレットとしては興味深いが、真剣な検討に耐えるものとは言いがたい。

技術的批判の限界

サイバーリバタリアンの弱点は別の側面からも指摘することができる。彼らは規制の不合理性を技術面から指摘することを好むが、その態度は、しばしば、規制の正当性を問う前に、規制そのものの実効性をシステムの分析やハッキング(犯罪的なクラッキングではなく)によって検証する戦略に短絡してしまう。むろん、それが効力をもつ局面もある。一例を挙げれば、クリッパー・チップの実現にもっとも大きな打撃を与えたのは、無名のエンジニアが試作品に欠陥を発見し、その記事が九四年六月の『ニューヨーク・タイムズ』に掲載されたことだと言われている。

しかし、総じて言えば、そのような運動の方向は、ただでさえ実態が分かりにくい情報管理を批判するため、さらに多くの専門知識や訓練を要求するものであり、一般市民の参加を難しくする可能性が高い。たとえば、本論でも幾度か触れてきたFBIのネットワーク傍受システム「カーニボー」について、市民団体のEPIC(電子プライバシー情報センター)は、情報自由法に基づく情報公開の請求を行っている(正確にはEPICはリバタリアンというより伝統的な左翼に近い団体だが、ここではハッカー的な発想の例として読んでほしい)。その請求には、傍受に使われるソフトウェアのソースコードの公開も含まれている注11

言うまでもなく、傍受の濫用を防ぐため、このような監視の存在は必要不可欠であり、その点でEPICの活動は高く評価できる。しかし、かりにカーニボーのソースコードが公開されたとして、そのどこが問題なのか、分析できるのがハッカーたちに限られることも確かである。だとすれば、そこで「技術的」な問題点が指摘されても、政府がそれを有効で安全な傍受装置だと断言したときと同じように、一般市民としては事実上それを鵜呑みにするほかない。せっかく情報公開が行われても、その情報を評価できるのがハッカーだけなのであれば、権力の不透明性はあまり変わらないのだ。

専門家に対するこのような依存的な体質は、原理的には、情報技術の問題というより、ポストモダン社会一般の問題である。ドイツの社会学者、ウルリヒ・ベックは、八六年の著作で、その性質を「リスク社会」という言葉で特徴づけている注12。現代社会に蔓延するリスクは、原子力発電にせよ食品添加物にせよ、市民が直接に知覚できるものではなく、「化学や物理学の記号の形でしか認識されない」。そのため、見えないリスクへの不安が人々を襲い、現代社会の秩序は、安全性の追求という新たな価値観を基礎として再編成されることになる。

この傾向については本論でも「セキュリティ化」という言葉で言及しているが、ここであらためて注意してもらいたいのは、ベックがそこで、リスクの有無を技術的な観点のみで判断することの危険性を強調していたことである。リスクの大きさは、人々の生き方、つまり価値観に依存する。したがって、いくら技術者がリスクを価値中立的に評価したように見えたとしても、それは「まやかし」にすぎない、と彼は述べる。この指摘は、技術者が体制側であろうと反体制側であろうと、ともに当てはまるだろう注13

このような観点からすると、国家による情報管理の欠陥を「技術的」に指摘しようとするハッカーの立場は、一定の効果を認めたうえでも、やはり限界を抱えていると言わざるをえない。政府や民間企業がネットワークの管理を強め、自由やプライバシーを脅かす。それに対抗するために、意識的な市民は、Linuxを導入し、メールを暗号化し、システムの分析に取り組む。しかし真の問題は、政府と個人のそのような闘いを成立させる地盤そのもの、すなわち、情報技術への依存度が飛躍的に高まり、日常的な社会生活(たとえば携帯電話の通話やATMでの出入金)にさえ一般市民には判断できないリスクが侵入してしまう、その条件そのものにあるのではないか。サイバーリバタリアンの批判はそのレベルには届かない。

得られる自由と失われる自由

以上、情報技術と自由の理念がいかに結びつき、どこに限界があったのか、駆け足で見てきた。六〇年代に始まり、九〇年代に爆発した情報技術革命の原動力になったのは、ハッカーたちのリバタリアニズムだった。そこではコンピュータやネットワークは、個人の自由を支援する強力なツールだと信じられた。しかしそれが、ハッカーたちの手を離れ、社会全体のインフラになるにつれ、環境管理型権力の担い手としてまったく別の側面を見せ始めてきた。これが現在の状況である。

この変化は、社会思想の文脈では、リバタリアニズムの限界を浮き彫りにした現象だったと捉えることもできる。私たちは確かに、直感的には、ハッカーたちが予言したように、情報技術革命のおかげで大きな自由の拡大を経験している。たとえば私たちは、いまや、行政やマスメディアの検閲を受けずに、国境を越えていかなる情報でも(児童ポルノをほぼ唯一の例外として)発信することができる。このような変化は、言論の自由や出版の自由、結社の自由などの内実を根本的に変えてしまっている。しかし、いま問題なのは、前回までの議論で繰り返してきたように、その新しい自由が、別のタイプの★自由を譲り渡すことで成立しているように見えることなのだ。ここには、自由とは何か、という地点にまで遡ってしまいかねない、いささか厄介な問題が顔を出している。

そして、実は、本論でしばしば参照してきたレッシグの『CODE』は、まさにこのような状況に直面して出版されたものである。事実、この著作の第一章と最終章は、サイバーリバタリアニズムの批判に当てられている。彼がアーキテクチャの権力を説くのは、それが、サイバーリバタリアンの議論で盲点となっているからなのだ。たとえば最終章ではつぎのように記されている。

今日、デクラン流[サイバーリバタリアニズムのこと]があまりに政治的な文化の主流になりすぎているので、それを回避する道がわたしには見えない。[……]われわれはY2Kや、プライバシーの喪失や、フィルタリングによる検閲や知的共有地の消失といった、コードが引き起こす災害を、人災ではなく天災として扱うだろう。生まれつつある一望監視方式のアーキテクチャによって、プライバシーと言論の自由の重要な側面が消されていっても、傍観するだけだろう。そして、現代のジェファソンのように、それは自然がそうしたのだ、というだろう−−このサイバースペースでは、われわれこそが自然だということも忘れて。社会生活のいろんな領域で、われわれはネットがまるで自分とは関係ないものの産物であるかのようにとらえるようになってくるだろう−−なにかわれわれが方向づけられないものとして。注14

リバタリアニズムは個人の自由をできるかぎり尊重し、その結果は、自由市場も含めた自然的制約に委ねる。しかしここでレッシグは、同じ立場はサイバースペースでは通用しないと述べている。その理由は、第三回でも紹介したように、情報技術に関わる領域においては、その競争の条件そのもの、たとえばコンピュータのOSや検索エンジンの仕様、著作権管理のシステムなどもまた人工物だからである。特定のアーキテクチャを選べば、その条件下で可能な自由や競争しか実現されない。著作権管理を徹底するため、文書の閲覧や音楽の鑑賞のたびに個人情報がエージェントに送信されるシステムがひとたび導入されてしまえば、それ以降は匿名的な参照や引用の可能性は競争以前に消滅してしまう。したがって、特定のアーキテクチャを所与条件とし、そのうえで自由やリスクについて語るのは、問題のすりかえだとレッシグは考える。

ここには、情報技術と自由の理念のねじれた関係を考えるうえで、重要なヒントが隠されている。情報技術革命が導入した新しいアーキテクチャは、いまや自由の限界を縁取りつつある。その内部では自由は増加している。しかし、アーキテクチャの部分まで考慮に入れると、自由はむしろ失われつつある——そのように考えることはできないだろうか。レッシグの議論を新しい権力論と接合する試みは、すでに第三回で行った。次回では、同じ議論を、自由を軸にして捉え直してみよう。


(現在準備中)